陶祖と磁祖、そしてグランドキャニオン

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本日も引き続き、瀬戸「陶祖まつり」の模様をお届けします。
本日は休日ゆえ、2ネタいきますが、この2ネタでレポートとしては終了となります。
今しばらく、お付き合いの程・・・。

今日は、瀬戸焼きの祖とされる二人と、今日の瀬戸焼を支える風景を紹介していきましょう・・・。
最初は、陶祖・加藤藤四郎から・・・、

瀬戸焼には、主たる焼き物の材料、原料として、陶土と陶石があります。
陶土とは、字のごとく土でありまして、早い話が粘土です。

この陶土を元に焼かれるのが、陶器と呼ばれ、土の持つ柔らかさ、ぬくもりが特長になります。
一方、磁器は陶石、つまり石を主原料とし、これを用いることにより、
器の薄製化に成功するようになりました。

陶器と磁器、簡単な見分け方ですが、まずはたたくこと、たたくといっても指ではじくだけで結構です。
置いてある状態で、縁を指で一はじき、コンコン、コロンコロン、という感じのこもった音でしたら、
それは陶器、チーンという金属音でしたらそれは磁器・・・、ということになります。
一度、お試しあれ・・・。

前置きが長くなってしまいましたが、その二つの焼き物の中の陶器のほう、
この陶器の祖されるのが、加藤四郎左衛門景正、通称加藤藤四郎です。

起源は1223年まで遡ることになるのですが、
いかんせん、文献等、きちんと残っていなかった時代、
この加藤藤四郎が、この地で開窯したのが始まりとされているのが現在の通説となっております。
(まだ、所々に不適合な歴史があり、見直しの気運があるのも事実です・・・。)

この陶祖、加藤藤四郎を祀ってあるのが、駅から程近いところにある深川神社です。
街中から少し入ったところにあるのですが、そこはすでに別世界、
閑静なところにたたずんでおり、今も瀬戸の町を見守り続けています。

次は磁祖、加藤民吉を祀ってある窯神神社です。
この加藤民吉については、きちんと文献も残っており、瀬戸焼の歴史を語る上で、
外すことの出来ない、重要な人物であります。

有田(九州)から発祥した磁器の技術に押され、そして取り残され、
衰退の一途を辿っていた瀬戸を救うべく、藩の命により西下、
かの地有田にて技術の会得をした後、瀬戸に帰郷、瀬戸の窮状を救いました・・・。
(言葉としては不適切かも知れませんが、今でいうところの産業スパイですね。)

産業の変革があったため、瀬戸には二人の英雄が存在するのですが、
他の窯業地では、ありえないこと、聞いたことのないことでして
これも焼き物で有名な産地の特色の一つなのかも知れません・・・。

最後は、この瀬戸の焼き物産業を今も支え続けている風景を紹介します。
瀬戸のグランドキャニオンと呼ばれる陶土珪砂採掘場です。

私が幼き頃からある採掘場なんですが、資源は有限なもの、
いつかなくなるんだろうけど、中々、減っていきません・・・。

この広大な敷地と申しましょうか、山なりと申しましょうか、
まるまると焼き物の原料となります。

因みに付近は、厳しい管理下におかれていますので、近づくことは出来ません。
この写真は、窯神神社の裏手から、ズームして撮影したものです。
近くのお寄りの際は、是非に拝観を・・・。
(遠方からですが、それでもかなりの見ごたえです。)

今日の2ネタ目で、瀬戸「陶祖まつり」に関するものは終了します。
最後は、今回の戦利品を紹介します。(変なものが混じっています!)
例によって午後便になります、もう少々のお時間、お待ちくださいませ・・・。